えふじん

よく生きるためのきっかけ探し。自由を求めて。

「だからゆとり世代は」って言われ続けるのも癪なので反論してみた

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こんにちは。ザ・ゆとり世代やゆよです。

この世代は何か目立ったことをするだけですぐ「あいつはゆとりだから」と言われてしまう厄介な世代です。別に「ゆとり世代」になりたくてなったわけじゃないのにね。

今日はそんなゆとり世代を代表して「ゆとりがダメだと言われる理由」をよーく考えたいと思います。

 

ゆとり世代の特徴

 

「ゆとり世代」の特徴としてよく言われるのが「我慢が足りない」とか「打たれ弱い」とか「飲み会に参加しない」とかいうこと。嫌なことがあったらすぐ逃げるし怒られたらすぐ委縮する。プライベートの時間が一番大事。つまり武士道的な精神論とは正反対のマインドを持っているということです。

 

精神論が欠けているという事実は「ゆとり世代」としても否定しがたい。実際に嫌なことはやりたくないし、怒られるのも嫌だし飲み会にも行きたくない。でもその字面だけを引き合いに出して「だからダメだ」と拒否をするのはあまり賢くないやり方ではないでしょうか。

 

例えば、「我慢が足りない」という批判には「どんなことも我慢すべきである」という考え方が隠れています。よく聞くのが、「若い時はつらい経験をしとけ、いずれ身になる」みたいな教訓だ。「理不尽なことでも人生経験が長い人が言うことは絶対だ」とか「円滑な仕事には社外の関わりこそが大切だ」とかいう従来の価値観が、それとは正反対の「ゆとり世代」に反感を覚えるきっかけになっているのです。

 

ゆとり教育との関連性

 

しかし私たち「ゆとり世代」が「打たれ弱い」考え方をするようになったのは果たして本当にゆとり教育が原因なのでしょうか

 

つまり、土曜日の午前中の授業がなくなったから「我慢が足りなく」なったのか?ということ。つるかめ算を勉強しなくなったから「プライベートの方が大事」になったのか?ということ。あのとき時間割の「総合」の時間が「国語」とかだったら「どんなことがあっても耐えられる」人間になっていたのか?ということ。

 

もちろんそんな話はばかげています。まったく論理的ではありません。まあ、そもそも反・ゆとり世代の精神論が論理的じゃないわけだけど。

 

だから、ゆとり世代がゆとりな考え方をするようになった理由はゆとり教育以外にあるに違いないのです。

 

ゆとりがゆとりになった本当の理由

 

私たちがゆとり世代だと言われる理由は、若者の怠惰でも人間的な腐敗でもなくって、精神論が絶対ではないということに気が付き始めたからではないでしょうか。

 

つまり、苦しい思いをし続けたところで明るい将来が保証されるわけではないことに、また年長者の上司であろうが理に適っていないことを正しいとはとても言えないことに、仕事が人生の全てではないということに、ただ気が付き始めたというだけ。

 

つまりこれは単なる時代の変化です。

 

苦しめば苦しんだ分だけ報われる時代はすでに終わりました。もう上司に媚びれば安定した人生が開ける時代でもなければ、一家の大黒柱が家庭を犠牲にする精神ももう古い。私たちの世代はそれに気が付き始めている。

 

というよりはむしろ、苦しんだ分だけ報われた時代のことなんて知らないんだから「将来絶対いいことあるから今はもがき苦しめ!」と言われたところで「え?なんで??その保証は???」となっても仕方ないんです。

 

そもそもゆとり世代が打たれ弱いという基準はどこにあるんだろう。「打たれ弱い」って言われたって、「打たれ弱い」のは「精神論が名を馳せた時代から見れば」という限定つきの概念であって、私たちの感覚からすれば「打たれ弱い」方が普通なのだ。だからつまり「打たれ弱くない」のだ。

 

ややこしくなってきたけど、私たちが「打たれ弱い」んじゃなくて、辛くても苦しくても我慢し続けるべきだと主張する世代の人が単に相当なマゾヒストだった、というだけなのではないか、という逆の考え方もできるというわけ。

 

ゆとり世代は時代の変化が生み出した産物に過ぎない。そして時代というのは常に変化するものです。

 

だから「脱・ゆとり」なんて試みは不可能だ。脱するも何も線的な変化なんだから、また別のものに変わっていく以外にない。時代の逆行はほとんどありえない。

 

反・ゆとり世代の隠れた本音

 

新しい考えもつ若者達を「ゆとり世代だ」と一蹴して批判するのは、それまで築いてきたいわば人生の土台となるような自分の価値観が否定される恐怖のためです。自分の信念は絶対である。精神論は正しいのである。なんだってそれで 50年60年と生きてきたのだから。

 

人は理解できないものを恐れます。変化が怖いんです。自覚しているかいないかにかかわらず、不安なんです。「ゆとりだ!」と叫んで相手の話を聞くことすら拒否してしまうのは、怖いからだ。そして怖いから威嚇する。高圧的な態度のほとんどは、自分の身を守るためです。

 

自分たちの身を脅かす価値観の変化を一蹴できる「ゆとり世代」という恰好の文句を、他でもない政府が与えてくれたからおじさんおばさんたちはもう嬉しくって嬉しくって仕方がないんだと思う。


まあもちろん、精神論が絶対悪だとは言わない。それのおかげで築かれた日本の生活を享受しているのは今の私たちだということは否定しません。

 

だかた、「ゆとりだ」と言われるのはかなり不本意だけど、それに対して「この頑固おやじが!」とこちらもまた頭ごなしに反発してしまうのでは何の解決にもならない。彼らは私たちが怖いのだ、そう思ってまずは私たち「ゆとり世代」が寛容になりましょう

 

「ゆとり世代」は昭和時代のノスタルジアである。

 

おわり。