えふじん

よく生きるためのきっかけ探し。自由を求めて。

公私混同できる人とできない人とは一体何が違うのか

f:id:miyako2911:20170311010440j:plain

こんにちは。同僚とは仕事の時しか会いたくない(出来れば仕事でも会いたくない)やゆよです。

休日に同僚と会うなんて想像もできませんが、中にはいますよね、勤務時間外でも親しくしている同僚たち。そんな人たちの誘いを断ることに労力を使う毎日です。

 

そういうことで今回は、私を含め「仕事とプライベートはきっちり分けたい派」とその反対の「プライベートでも仕事仲間と遊んだりしちゃう派」の違いとは一体何なのか考えてみます。

 

 

公私混同できる人、できない人

 

「仕事終わりの飲み会に付き合うべきか」、「休日のバーベキューに参加するべきか」という問題は社会人にとって尽きない悩みですよね。

 

プライベートと仕事の間に境界線がない人にとっては、え?飲み会もバーべキューも普通に楽しいじゃん、と思われるかもしれませんが、仕事とプライベートを分けたい人にとっては時として大変な苦痛にもなるわけです。

 

もちろん前者の人も上司部下の関係だったら嫌だ、というのはあるかもしれません。でも同期とか年が近い先輩後輩ならむしろ一緒に遊ぶのが楽しいという人を何人も目撃したことがあります。ちょっとした旅行を企画してみたり、同期のサプライズバースデーパーティーに誘ってくるキラキラLINEを受け取ることがあります。そして後者の人間はその度に思う。それって楽しいの???

 

こういう話になるとたいていの場合「仕事仲間との交流は大切だ」とか「いやいや自分の時間の方が大事だよ」とかいうそれぞれの価値観をベースとした議論が始まることが多いです。価値観が違うから理解しあえないし、場合によってはお互いの間に軋轢が生まれてしまうこともありますよね。当然こっちの方がいいでしょ、と思ってるから両者が歩み寄るのは簡単じゃない。

 

この両者の違いはいったい何なのでしょうか。つまり「公私混同できる人」と「公私混同できない人」とはいったい何が違うのでしょうか。違いを認め合って、どちらのジャンルの人も心地よく働ければいいのになあといつも思っています。

 

公私混同できないのはなぜか、できるのはなぜか

 

仕事とプライベートを一緒に出来ない人はなぜできないのか。彼らは別に飲み会が嫌なわけでもバーベキューが嫌いなわけでもない。社外の友人とだったら喜んで行く。ただ「会社の人と」行きたくないだけなのだ。

 

ではなぜ会社の人と行きたくないのか?それは会社の人と飲んでも楽しくないからだ。でもなぜ会社の人とだったら楽しくないのか?それは自分とその人とが根本的に合わないからだ。つまり、職場にいる人たちの種類とプライベートで自然に築いてきた友人たちの種類が全く違っているということ。

 

それはどんな本を読んでどんなテレビを見るのか、どんな時間の使い方に価値を置くのか、もっと言えば育ってきた環境や学歴や教養なんかも関係しているかもしれません。

 類は友を呼ぶとはその通りで、自然な成り行きに任せればおのずと自分と同じような種類の人たちが周りに集まってくるのです。そしてその環境は自分にとって一番心地がよい。

 

しかし職場は違います。ある程度は社風なんかで同じような人間が集まるのかもしれないけど、基本的にはいろんな背景を持った人がいるわけです。その人たちが必ずしも自分の属性と同じような人間だとは限らない

 だからどうしてもこの人たちとは合わない、という状況も出て来てしまうのです。合わないから何を話しても楽しくないし、本音を話しても「のれんに腕押し」みたいな感覚になるし、だから飲み会なんか行ったって面白くもなんともない。

 

「プライベートでも仕事仲間と遊んだりしちゃう派」の人は、たまたま仕事仲間が自分と同じような嗜好や背景をもっていたということに過ぎないのです。周りに自分と同じような考え方とか教養を持った人がいれば、それが同僚であるかそうでないかにかかわらず、そりゃ親しくなれるはず。

 

つまり、「あいつはいっつも飲み会にこない!」「いい歳して公私混同するなんて!」の議論が巻き起こる原因は「あいつ」自身にあるわけじゃなくて「あいつと周りの環境が合っているか」ということに集約されるのです。

 

両者の違い

 

だから「公私混同ができる人」も「できない人」も、そもそも存在しない。「公私混同できない人」も、環境が変われば、つまり例えば職場が自分と同じ種類の人間ばかりになれば、「公私混同できる人」になるはずです。その逆も然り。そういう意味では両者に違いはないということになる。だってどちらがどちらにも成りうるわけだから。

 

なのでもし自分が「仕事とプライベートはきっちり分けたい派」で、職場の飲み会とかに参加しないことが罪悪みたいに感じられても、全くその必要はないのです。

 

なぜか「プライベートでも仕事仲間と遊んだりしちゃう派」の人たちの方が外交的で意識も高くてそっちの方が良くて正しいみたいな風潮があるけど、所詮はたまたま環境がそっちの人たちに適合していたというだけのこと。もし、その人のまわりが自分側の人間にすり替わったら立場はたちまち逆転してしまうでしょう。

 

全ては「自分と環境」に集約されるのだから、この問題を「仕事とプライベートは分けるべきか、飲み二ケーションを重視すべきか」といった結論に持っていくのはそもそも不可能だし無意味だということが分かる。

 

まわりの環境が「仕事仲間とは親しくできない人」と「できる人」の違いを作っているのだ。言い換えれば、環境が、人間関係の問題を引き起こしている。

 

だとするなら、環境を変えてしまうことができれば・・・?

 

公私混同のテーマを突き詰めたらいろんなことが見えてくるかもしれませんね。

 

おわり。