えふじん

よく生きるためのきっかけ探し。自由を求めて。

自殺する人は視野が狭いのか

こんにちは。やゆよです。

今日はちょっと暗い話。
でも自分から命を奪おうと考えたことがある人にとっては、ちょっとだけ生きる希望になるかもしれないお話をします。

 

先日、とあるバーで隣になった人と日本の作家について話をしていました。

 

私は太宰治が好きで、もう10年以上、ほぼ全ての作品を読んでいます。
太宰治は39歳の時に入水自殺で自らの命を奪いました。それ以前にも3度の自殺未遂をしています。

 

作家という人は自殺をする人が多いですね、とその方は言いました。

 

確かにそうですね、と私は答えた。

 

そうして三島由紀夫や芥川龍之介、川端康成の人生について色んなことを話していました。お酒も入ったそんな会話の中でその方がふと漏らした一言に、私はあまりしっくりこなかった。

 

「自殺する人は、視野が狭いのかもしれないね」

 

テレビやインターネットが主流になった今の時代だったら、色んな情報が入ってくるから自分の世界だけに閉じこもることはなかっただろうし、というのがその方の主張でした。

 

しかし本当にそうだろうか?

自殺をしてしまう人は、本当に視野が狭いのだろうか?

 

結論から言えば、そうではない、と私は思うのです。

 

自殺を考える人は、自ら命を絶たなければいけない状況にまで自分を追いつめてしまう。

自分を追いつめるということは、言い換えれば、自分という人間についてもうこれ以上考えることは不可能なくらいまで深く深く考えてしまう、ということ。

 

自分という人間について、また自分を取り巻く人々や環境について、あらゆる選択肢を考え出し、そうしてその選択肢を吟味する。吟味した結果、どの選択肢にも絶望しかないことに気がついてしまって、自分の命を奪うより他はない、という結論に至るのではないでしょうか。

 

人生について深く深く考えるから、色んなことに気がついてしまう。自分の内面の奥の方に存在する醜さが、あるいは他人の、本人でさえ自覚していないような潜在的な欲望や邪心が、手に取るように感じられてしまうのです。普通の人なら当たり前のように思えることにも「これで本当にいいのだろうか」と疑問を抱き、それが大きな漠然とした不安となって襲いかかってくる

 

そうして、もう死ぬしかない、そう思ってしまうのではないか。

 

自殺を決意するのは「嫌なことがあったからもう死にたい」というような短絡的な考えからでは決してありません。自ら命を絶とうとする人はむしろその反対で、自分という人間の、また世の中という他人の集まりの、上辺だけでは見つけることができないどうしようもうない絶望が見えてしまっているのです。

 

だから、自殺を考える人は視野が狭いのではなく、むしろ視野が広すぎるのだ、と私は思う。

 

自ら命を奪ってしまう人について「自殺をする人は視野が狭いのだ」と結論を急いでしまう方が、短絡的だと言えるのではないかと思えてしまうのです。

 

もちろん、この苦悩にあふれた人生においては楽天的でいるほうがどれほど生きやすいか、その答えは明確です。でも、もし今、自ら命を絶ってしまいたいと考えている人がいるとすれば私はこう言いたいのです。

 

あなたはまわりのどんな人よりも多くのことが見えているんだから、ここで死んでしまうのはもったいない。生きることをやめた方が楽だと思えるほどの深い内省ができるなんて、むしろ誇りだと感じてもいい

 

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あんなに素晴らしい表現力を持つ作家たちの視野が狭いとは、私は到底思えないのである。

 

おわり。