えふじん

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「みんな辛いんだから我慢しなさい」は間違っている-会社を辞めたい人たちへ

こんにちは。やゆよです。

今日はどうにも仕事がはかどらず、嫌で嫌で逃げ出したくなった1日でした。
「辞めたい」とこぼすと人生の先輩たちは決まってこう言います。

「楽しく仕事してる人なんかいない、みんな辛いんだから我慢しなさい

 

こう言われてしまうと、ああ確かにそうだ、みんな辛いのに逃げようとしてる自分が弱くてダメなだけなんだ、という思考が働いてしまい言い返す言葉がなくなってしまう。

 

でもなんとなくいつも納得がいかないまま、ずっともやもやしていました。

 

そうして今日、ひらめいた。

 

「みんな辛いから我慢しなさい」の違和感は、きっとこういうことなのだ。

 

まず、辛い「みんな」はいったい誰のことだろう
それは仕事をしている他の同僚たちのことです。

 

自分と一緒に働いている「みんな」は、確かに辛い思いをしているかもしれない。
いつも笑顔のあの人も、本当は重たい苦悩を抱えているのかもしれない。

 

なのに自分だけ逃げるなんて卑怯だ、ダメな人間だ、だから我慢しなければ、辞めてはいけない。

 

この思考回路は一見すると筋が通っているように思えます
「みんな辛いから我慢しなさい」の精神に従うと、まっとうな考え方のように思えてくる。

 

しかしここにはトリックがあったのだ。

 

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そのトリックはつまり、辛くて苦しいはずの「みんな」が実際は仕事を辞めていない、ということ。

 

もちろん、辞めようと考えたことはあったかもしれないし、もしかしたら今も辞めたいと思っているかもしれないけど、実際は辞めていない、ということです。

 

もっといえば、「みんな」の苦しみは、実際に「辞める」という行動を移すまでのものではない、ということ。もしくは実際に行動に移すことができない状態にある(例えば自分が養っている家族を捨てることができない等)ということなのです。

 

一方、今辛くて苦しい自分は「辞める」という選択肢を現実のものとして捉えています。実際に「辞める」という行為を実行に移す段階において悩んでいる。つまり、結局辞めていない「みんな」とは、苦悩を比較するフィールドが違うということなのです。

 

だから、「みんな辛いから我慢しなさい」の理屈では、そもそも苦悩の比較対象が間違っている。ただでさえ苦しみを比較することなんかできないのに、比較しようとしてしかもその対象を間違えているのだ。にもかかわらず、なんとなく正論に思えるこのお説教はいつもドヤ顔で「本当に辞めたい人」を苦しめてしまう。

 

もし、苦悩を誰かと比べることで悩みを解消しようとするのなら(本来はできないけど)、それは「結局辞めていないみんな」の苦しみではなく、「実際に辞めたみんな」の苦しみではないでしょうか。

 

このトリックに気づいたら、もう「みんな辛いんだから我慢しなさい」という言葉に悶々とする必要はありません。自分の苦しみにまっすぐ向かい合ってみてくださいね。

 

おわり。