えふじん

よく生きるためのきっかけ探し。自由を求めて。

「みんなやってるからやる」心理と違和感の正体

私は先日、「新入社員はみんなやってるから」という理由で行きたくもない飲み会の幹事をやらされました。

 

みんなやってるから。

 

会社に入ってからこの言葉をよく聞くようになりました。違和感がありつつも「みんなやってるから」と言われるとなぜか断れず、反抗心を抱いたまま「結局やる」ことになってしまう。

 

みんなやってるからって関係ない!と思いつつ、何がどう関係ないのかうまく説明ができなくてずっともやもやしていました。そんなある日ふと、魔法の言葉「みんなやってるから」という言葉の違和感の正体が分かってしまったのです。

 

 

「みんなやってるからやる」人の心理

 

みんなやってるからやってね。みんなしてきたんだから君もするべきだ。

 

こんな風に言う人の心理には、本人も気づいていない部分がある。

 

みんなやってる

(やらないと周りに何か思われるかもしれない)

(そうなったら嫌だ、怖い)

だからやる

 

みんなやってるからやるのはなぜか?

 

それは、みんながやってることをやらなかったときに陰口を言われたり評価を落とされたりするのではないか、という恐怖。「こわい」という感情。その「恐怖の感情」が「みんなやってるからやる」という言葉の間に隠されているのです。

 

 

「みんなやってる」ことに対するもう一つの結論

 

だから、「みんなやってる」という前提から導き出されるのは必ずしも「やる」という結論だけではないはずです。つまり、

 

みんなやってる

(やらないと周りに何か思われるかもしれない)

(別にどうでもいい)


やらない

 

こういう結論にも持っていけるわけです。みんながやってるからといって、必ずしも「やらなかったときのことを怖がる」人ばかりではありません

 

「みんなやってるからやってね」と言われて違和感を感じる人はこっちのタイプの人間なのです。

 

 

「みんなやってるからやる」には論理の飛躍がある

 

それなのに「みんなやってるからやる」派の人たちは、その言葉の中間にある自分の感情をまったく無視して、というか気付こうともせず、それがさも当たり前のように「みんなやってるからやるべき」と他人に押し付ける。

 

みんなやってる、だからやる。

 

もっともらしく聞こえるこの主張には、実は、直接的な因果関係はありません。その間に「こわい、いやだ」という感情が入っている。つまり、論理が飛躍しているんです。

 

つまり「みんなやってるからやる」違和感の正体は、「みんなやってる」という事実に対して持っている感情が違う(怖い?どうでもいい)のに、「やる」というひとつの結論を強要されていること、にあったんです。

 

 

それでもやらなければいけないとき

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「みんなやってるからやる」。この違和感は解消したかもしれません。そうはいってもやらなければいけないことには変わらない、という人がほとんどなのではないかと思います。

 

「みんなやってるからやる論」を他人にも押し付けるような人は、残念ながらそこで思考が止まってしまっています。自分がそう考えるなぜなのか?その風潮はどこから生まれたのか?考え方が違う人がいてもいいのではないか?・・・そんなことを想像してみる能力はもう失われてしまったのです。

 

おそらくその人たちも、また別の人たちの「みんなやってるからやる論」にいつの間にか侵食されてしまったかわいそうな人たちです。

 

「みんなやってるからやる」が当たり前になっている今の環境にずっといることに妥協できるくらい、やりがいや楽しさ、わくわくがあればいいですが、そうでなければ今いる場所から抜け出すことも一つの選択肢なのではないでしょうか。