えふじん

よく生きるためのきっかけ探し。自由を求めて。

やゆよってこんな人!ブログ開始3ヶ月目でやっとプロフィールを書いてみました

はじめまして。やゆよといいます。

 

このブログを始めて3か月が経ちました。
3か月もたったのにそういえば詳しいプロフィールを書いておらず。

 

というわけで今日は自分の生い立ちも含めたプロフィールを書いてみたいと思います。

 

 

やゆよの基本情報

 

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まずは基本プロフィールから

 

・1991年生まれ
・大阪府出身、東京都在住
・O型
・社会人2年目

 

普段は関西弁をしゃべります。東京へは就職をきっかけに出てきました。

まあもうすぐ会社辞めるんですけどね。大阪に戻る予定です。

 

 

やゆよの生い立ち

 

次に私の内面的なことについて。

 

私は基本的に「自分がない」というコンプレックスから成り立っています。これまでの25年間いろいろ間違って過ごしてきたので、これといって何の特徴もないつまらない人間です。もはや「自分がない」ことが特徴かもしれないと思い始めている。

 

性格とかは箇条書きにするよりも生い立ちを書いたほうが分かりやすいかなあと思ったので、今までの経歴をざっとご紹介しますね。

 


冷戦状態の家庭に生まれる

 

さっそく暗い話になりますが、私が生まれた家庭はなかなか「幸せ」とは呼べない環境でした。

 

両親の仲は冷め切っていて冷戦状態がデフォルト。なので一度火が着いてしまうと怒鳴り声や物が飛んでくるという危険地帯に変わります。子供に対するあからさまな虐待と
いうほどではありませんが、ヒステリックに怒鳴られたり物が飛んできたりするのは気持ちいいものではありません。常に命の危険を感じていたあの恐怖はやっぱりいまでもトラウマですね。

 

まあ愛情をまったく与えられなかったわけではないんですけどね。

 

ちなみに2歳になるかならないかの頃にすでに本を黙読していたらしく、周りの人に怯えられていました。

 

 

転校してスクールカースト底辺になった小学校時代

 

小学校3年生までは可もなく不可もない一般的な小学生でした。友達も人並みにいたし一輪車と鉄棒と児童向け小説が好きなフツ―の子どもでした。

 

しかし小4になってその普通が一転。転勤族だったので転校をやむなくされてしまったのです。転校先の小学校はやんちゃな子が多く、もともとそんなに明るいほうではなかった私は完全に溶け込む機会を逃してしまいました。いわゆるスクールカーストの底辺に配置され、いじめられはしなかったもののカースト上部のクラスメイトに日々怯えながら毎日を過ごすことに。

 

それでも家庭内では戦争中の親にわがままを言ったり甘えたりすると雷が降ってきたので自分の意思はできるだけ表現しないようにしていました。

 

そしてこの頃に書いていた日記のなかで「自分の感情は殺すべきだ」ということを誓いました。

 

この誓いは今でも生きていて、私個人のベースとなっています。

 


中学時代は成績トップの黄金時代

 

自分のことでキャパオーバーだった冷戦中の両親に認められたかったのか、なぜか勉強はずっとしていて中学時代の成績は常に学年1位でした。

 

その甲斐あって(?)カーストは依然として底辺だったにもかかわらず、気が付いたらヤンキー系の人たちにも気にかけてもらえるような存在になっていました。今思えば、自分の感情をなくしていろんな人の機嫌を取っていたからかもしれません。

 

まあそれでも成績もよかったしカースト上位ともコミュニケーションをとれるようになったので目立つようなこともいろいろやってみることに。学級委員はもちろん音楽会の指揮者、3年生では生徒会もやったりしていました。

 

そして受験勉強のあと、学区トップの進学校に当然のごとく合格。つかの間の夢と希望であふれていました。

 

落ちこぼれた高校時代

 

夢と希望であふれた入学式からたった数か月のこと。私ははじめての中間テストで見たこともない数字を叩き出してしまいました。数学36点。中学ではいつも100点近くを取
って帰ってきていたので、この数字を見た父親が大爆発。戦争が始まりました。

 

その高校の数学の試験が、東大に行く人にとっても難しくなるように作られた平均40点のものだったということは後になって分かりました。進学校の中で平均40点ということは 、36点でもそんなに悪くはなかったわけです。でももうあの大爆発があってから逆にやる気をなくしてしまってすっかり勉強をしなくなってしまいました。

 

唯一の取り柄だった「頭がいい」というアイデンティティをなくしてしまった私はますます自分を見失うことになります。自分がないから人と違おうとして変な服ばっかり着ていました。中二病。

 

そうして高校の成績は学年全体で下から数えたほうが早いぐらいに下がってしまい、そのくせプライドだけはあったので旧帝大を受験し見事に不合格。浪人期間を迎えます。

 

 

プライドとコンプレックスの塊だった大学時代

 

1年の浪人生活を終えて結局また行きたかった旧帝大に落ちてしまいました。周りの友人たちがいわゆるSラン大学に進学しているというコンプレックスと、頭がよかった過去の栄光から作り上げられたプライドでがちがちに固められた私は、完全にふさぎこんでしまう。

 

後期受験で不本意に入学した大学が嫌いで嫌いで、本当は自分が何もできないことに薄々気づいていながらも認めたくなくて、「自分はこんなところに来るはずじゃなかった」と周りを見下して友人も作ろうとしませんでした。本当に嫌なやつですね。

 

入学後しばらくたって、さすがにこれではいけないと他の学生たちと話すようになって今でも時々会うような友人もできました。一緒に飲みに行ったり旅行したり、人並みに楽しい大学生活を送ることができました。でもやっぱりどこか「自分は違う」と思っていた節があって、きっと気を遣われていたんだろうなあと思います。

 

 

「自分がない」ことに直面した就職活動

 

わたしが「人生を間違えてしまった」と初めて気が付いたのは大学4年生の就職活動がきっかけでした。あの時の衝撃は今でも忘れることができません。

 

就職活動って自己分析をやるじゃないですか。企業に自分をPRするために「自分とはどういう人間か」を深く掘り下げる機会がやってきます。私も他の人と同じように、いろんな本や就活サイトの情報を見ながら自己分析をしていました。でも、おかしなことに、なかなか上手くできなかったのです。

 

どんなやり方をしても、あれも違う、これも違う、はっきりとは言えない、人によって変わるし・・・といったように「私といえばこれ」というものがなかなか見つからない。ありとあらゆる自己分析を試してみても上手くいかなくて、ついに気が付いてしまったのです。

 

私には、自分がない。

 

今まで自分が自分だと思っていた「人と違う私」とか「みんなよりすごい私」は全部ニセモノだったことに気が付いたのです。それまでの私は「ただのプライド」で、本当の私はどこにもなかったのでした。人によって態度が変わってしまうのも、自分に信念も自信もないから人に嫌われたら終わり、という他人目線の考え方をしていただけ

 

そうして気が付いた時には、「あんな下手くそな英語をしゃべる集まりなんて」と見下していたコミュニティの人が自分よりはるかに上手いネイティブ並みになっていたり、「あんな子が入れるわけがない」とおもっていた知り合いが東大に入学したりしていました。

 

つまり、「自分は人とは違う」と高を括っていた私には結局これといったものが何にも残らず、純直に自分の信念に従ってこつこつ生きてきた人に次々と追い抜かれていったのです。自分には、なんにも残りませんでした(←今ここ)

 

こうして私は「自分がない」自分に悩まされ続けることになったのです。

 

 

おわりに:自分を取り戻すために

 

とっても長くなりました。すみません。

 

小学生のころに「自分の感情を殺す」ことを誓ってから今までずっと、私という個人には「自分」というものがありませんでした。なんか親のせいみたいに書きましたけど、今ではそういう風には思っていませんよ。自分次第で変わりたいもんね。

 

これを認めるのは抵抗があったけど、「自分がない私」が本当の私です。

 

でもやっぱり「自分」はあるにこしたことがない。これからは、本来の自分を取り戻すことが人生のテーマです。ずっとプライドで隠していたダメな部分も含めた「自分の信念」というものを本気で探すことにしました。このブログも、実はそのための手段のひとつだったりします。

 

と、こんな感じで人生絶賛迷走中です。もうすぐ会社をやめるのでもっと迷走することになりそう。

 

このブログで自分を見つけられたらいいな。

最後まで読んでいただきありがとうございました。心より感謝申し上げます。